昨年から現在までの間に、いくつかのトラブルに遭いました。
更新していたものが滞ったり、自分の仕事が進まない状況が訪れていたことでご心配をおかけしました。
今回は、起きたこと、その過程で感じたことについてです。
私の身に起きたこと(時系列)
2020年10月以前
- 個人で働くことを決意し、インターネットを使って仕事を始める(2020年1月から)
2020年10月
- それまで放置していた私のFacebookアカウントに突然、なだれのように友達申請が舞い込む(短時間に100件以上)
- Facebookの事情を知らないので、とりあえずわからないままに承認し、コミュニケーションを取ってみることにする
- 数人の人が継続してメッセージを送信してきたため、やりとりをしてみる
2020年11月
- やりとりをしていた人がLINEでのやりとりを希望してきたため、友だち追加してやりとりをする(その人とやりとりをしているうちに、少しずつ感情が移っていった…ちなみに、相手は外国人女性)
- やりとりをしていくうち、冷静な判断がつかなくなり、結果的に騙されていたらしいことに気がつく(いろいろ調べてみた結果、疑念が疑念でなくなっていく…)
- 上記の出来事の結果、経済的に困窮する
2020年12月
- 6年ほど前に痛めた腰を再び痛める(ベッドから起き上がることができなくなる)
- 知り合い、公的機関その他に問合せて経済状況改善の可能性を探る
- 運よく体が治ってきたので、求職活動を始める
- アルバイト情報サイトに登録したところ、人材派遣会社の人から連絡が届き、そこから職業紹介を受ける
- 年末を迎える
2021年1月
- 派遣先に勤務(仕事を徐々に覚え、最終的にかなりの成果をあげるようになる)
2021年2月
- 職場とプライベートの両方でトラブルに見舞われ、派遣社員として働けなくなる
- 派遣先との契約期間を残したまま、契約終了を申し出る
- 派遣元の人材会社を退職する
- プライベートのトラブルは収まった
- 現在に至る
光が見えたと思ったところだったが…
以上がこれまでの流れとなります。
トラブルに遭って経済的に困窮したことが原因で、私は派遣社員として働いていました。
ですが、またしても不意のトラブルが起こり、仕事が続けられない状態となりました。
(原因があり、それに対する行動をとったところ、それがうまくいかなくなった、というだけのことですが…やはり煮え切らない思いが残るばかりです)
その後、退職した私は、トラブル処理や感情の乱れもあり、それまでしていた自分の仕事に集中できないという状況になりました(1週間ほどでした)
影響はまだ残っていて、ブログを2020年から継続的に更新していたのですが、いまだにそのスケジュールが狂っている状態です。
派遣社員の給料は確かに危機に陥った私を大いに助けてくれました。
契約期間まで働く予定だったのですが、それが不可能になったことは非常に残念なことでした。
仮に期間満了まで働き続けられたら、もう少し生活を改善することができて、状況を元に戻すことが早くできたように感じます(現在、危機的状況はやや脱していますが、状況が大きく変化した場合、再び危機を迎えるであろうことが予想される状態です)
しかも、契約期間が残っていて、派遣先・派遣元企業の双方がそれを了解していたはずなので、今回のことで迷惑をかけてしまったことがとても悔やまれます。
理不尽
人は生きていると「どうして自分だけこんな目に遭うのだろう?」と思うようなことがあります。
私にもそう感じる心がやはりどこかにあります。
そして、私はなるべくそういう気持ちに囚われないよう努力してきたつもりです。
今回こうして離職に至ったことの原因の1つは、職場において身の危険さえ感じるような事態が起きたことにあります。
ただ淡々と働き続けていただけなのに、私の過去のプライバシーを暴露し、事実とは違う噂話を言いふらし、最後には脅迫めいた言葉を投げかける、という扱いを受けることになりました。
職場は工場でしたが、本来そこで働く人がするべきことは製品を正確に生産することであり、人に対して文句や嫌味や暴言を言い放つことではないはずです。
理不尽としか言いようがありません。
この事実を私の恩人に打ち明けたところ、にわかに信じがたい、という反応をされ、信じてもらえないばかりか「病院に行って診てもらえ」とまで言われるほどでした。
起きた事実をそのまま話しているだけなのに、それが信じられない、という反応が返ってくるということは、客観的に見ても信じられないようなことを私はされていた、ということなのかもしれません…
この事態で学んだこと
今回のことで学んだこととして「いい歳をした大人であっても、中身は小学生くらいでしかない」ということと、「していいことといけないことの境界を分かっていない人間が多い」ということです。
今回のことだけではありませんが、人間の本質は細かなところに現れます。
(立場の弱い人への対応の仕方、物の扱い方、言葉遣い、態度など)
そして、人をひきずり下ろすことによって自身の安心感を得ようとしたり、気持ちを紛らわせようとする人間が非常に多い。
自分の立場がたまたま弱いところにあるせいか、その様子が手に取るようにわかります。
もちろん、私にも感情があり、そうした対応をする人たちに怒りを感じることはありますが、気持ちが落ち着いた状態で考えてみると、相手に復讐してどうなるわけでもない、ということもまたよくわかります。
憎しみに憎しみで対応することは、さらなる憎しみを生みます。
私がするべきことは、私に対して憎しみを持った人たちの幸せを祈ること、だと感じています。
(もちろん、私の身体に直接危害を与えようとするなら、徹底的に抵抗しますが…)
相手を憎み、相手の不幸を願うことは、私のことを非難していた人たちが私にしていたことと同じであり、相手に同じことをした時点で、私は自らそこに降りていったことと同じになります。
私は、そんなことをしたくありません。
人がするべきことは、人の足を引っ張ることではなく、困っている人の手を取り、引っ張り上げてあげることだ、と思っています。
まとめ
私はきっと、私のことを批判する人間よりも、私のことを心から褒め称える人間を警戒するでしょう。
なぜなら、そういう人こそが、真に向き合い、ときに戦うに値する相手だと思うからです。